こんちはSakimoriでーす。
島根の玉造にある
「出雲まがたま伝承館」に行ってきました。
勾玉を持った因幡の白兎がお出迎えです。
中に入るとでっかい勾玉が!
ここで勾玉について少し書きますね。
勾玉と言えば、天皇家が保有する三種の神器の1つとしても知られています。
古くは古事記やその他文献にも頻繁に勾玉の名が出て来ますが、それが一体何を意味し、何のために作られたのか?それはいまだにわかっていません。
なんと縄文時代から既に作られていました。
説としては
①獣牙
②月
③胎児
これらを模倣したという説がある。いづれにしてもただの装飾品ではなく、魔除けや呪術、宗教的な意味がありそうですね。
因みにSakimoriは③の胎児模倣説に一票‼︎‼︎
何だかそう見えませんか?
まず①獣牙説ですが、サメや獣の牙を御守りにしたくなる気持ちはわかるが、わざわざ石を削りだして模倣するだろうか?
どうせなら命懸けで倒した獣から本物の牙を採取するような気がしませんか?
しかも牙を模倣するならもっと鋭くすると思う。強さの象徴ですからね。
次に②月模倣説。
月の満ち欠け、女性の身体や出産、そして潮の満ち引きなど、この世には月の周期に影響される事象が多数あります。
この摩訶不思議な月の存在が当時から信仰の対象であったことは間違いないでしょう。
ただ月にしては形が頭デッカチなのです。。。
なんか愛嬌ありますよね。
その愛嬌ある形、生命誕生の神秘とパワーにあやかるために③胎児を模倣して身に付けたのではないかな?と思うのです。
それでは引き続き、出雲まがたま伝承館。
ここ出雲地方で採れた出雲石。
勾玉を首から下げたり、
頭に巻いたり、、めちゃいっぱい、、若干怖い、
装飾品としての勾玉がいっぱい。勾玉の周りには、同じく石に穴を空けた、今で言うとビーズの様な役割の装飾石が勾玉を引き立てます。
どうやって穴を空けたんでんでしょうね。
ここでは勾玉作り体験が出来ます。
勿論参加しました。
息子君と一緒に参加し、所々その様子を写真に収めようと思っていたのですが、思いのほか息子君の手際の良さに圧倒され、負けじと少々焦りながら必死に作ったので、写真どころではありませんでした。トホホ。
完成品はこちら。
息子君作、蝋石で作った勾玉。
柔らかく加工しやすいのが特徴です。
そしてこれがSakimori作、琥珀で作った勾玉。
蝋石と比べると加工が難しいですが綺麗でしょ?
勾玉作りを終えた後は、伝承館内のショップで本物の勾玉を買いました。
種類が豊富で値段もピンキリ。選ぶのに時間がかかったけど、あれでもないこれでもないと悩みながら選ぶのは楽しいものです。
青石(緑色)の勾玉に決めました。
縄文時代の物は殆どが緑色だったらしいのと、ここ出雲地方で採れた出雲石も青石が多かったそうなので、リアルさを追求してこれに決めました。
左がSakimori作(琥珀)
右が購入した物(青石)
何だかSakimori作もまんざらじゃないよね!
さてここからが本番。
伝承館を後にすると、次は玉造湯神社⛩へ。
この神社の「願い石」に触れながら祈ると願いが叶うと言われています。
手前の水と柄杓で今回ゲットした全ての勾玉を清めてから、願い石にそっとタッチしました。これで勾玉パワーが更に高まったことだろう、、、と思い込むのでした。
次に訪れたのは、
お約束の出雲大社(いずもおおやしろ)
そして本殿、、、の裏側、、
正面だけでなく本殿の周りには天照大神、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祀られていたりします。
そして本殿の西側
実は御神体は正面ではなく西を向いているって知ってました??
だから西側にも賽銭箱があり、通な人は必ず西側からもお祈りするそうです。
是非正面だけでなく周囲も散策してみてくださいね。
大社を後にすると、すぐ近くの出雲歴史博物館へ。
とにかく今回の旅は忙しい。充実したけど。。
館内に入ると先ず目に付くのが大きな柱の一部。
古代出雲大社本殿は、全高48mの所にあったことが飛鳥時代の文献に記されています。現実的に当時の建設技術では難しいため、どうせ誇張話だろう。長年のそう考えられていました。
しかし2001年、本殿付近の発掘調査の結果、この大きな柱が発見され、文献が本当だったと言う事がここに証明されたのです。
こちらが古代出雲大社の模型。
驚くべきは、土器に(多分弥生式)古代出雲大社らしき建物が描かれていたことです。
まさしく歴史がびしっと繋がった瞬間でした。
その他銅剣、銅鐸、石器、そして勾玉など興味あるものが沢山展示されています。次回はもっと時間を作り、更にゆっくりじっくり見学したいと思いました。
銅剣と勾玉
当時の道具でどうやってつるつるに磨いたのだろうか。不思議だなぁ。
縄文時代は野蛮な時代と言う印象をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
しかし彼らは死者を弔う為に墓碑を作ったり、花を供える習慣を既に持ち、子供の手足の形を押した焼物を作り、飾る習慣も持っていた事が判明しています。
また歯の抜け落ちた老人や、生まれつき四肢の不自由な者を排除せず、手厚く扱い、また丁寧に弔う人間性も既に持っていた。
現代日本人と同じぐらい、いやもしかするともっと豊かな心を既に持ち合わせていたのではないだろうか?
僕は今回なぜ急に勾玉つくりを思い付き、古代日本に想いを馳せたのだろう。
不思議ですが何がきっかけだったのか?今は思い出せません。
今回ゲットし、そして玉造湯神社の願い石で清めた勾玉を大切にしようと思います。
皆さんも出雲で勾玉作りなどいかがですか?
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